りゅうちぇるさんの入れ墨問題に玉虫色ながら回答を出そうと思う。
りゅうちぇるさんがタトゥーを入れたらしい。で、それをSNSにアップしたところ、批判が相次いだと。りゅうちぇるさん本人、批判そのものにも賛否両論が巻き起こってます。
いくつか議論すべきポイントがありますね。まずはタトゥーそのものについて。
怖いと思う人がいる→タトゥー以外にも怖いものはある
例えば、金髪で日焼けした目つきの悪いマッチョが風呂に入ってきたら…ブツブツ話ながら髪の長い人が入ってきたら…はい。怖いです。めっちゃ怖い。
ということで、怖いと思う人がいるなら、タトゥー以外にも怖そうなものは排除すべきです。なので、この指摘には意味がありません。
タトゥーに偏見がないが、迷惑行為をする人が多い。
これも最近Twitterで良くみますね。上と同じ理由でタトゥー入ってる人にも入ってない人にも迷惑行為をする人がたくさんいます。別にタトゥーは関係ない。これを理屈として持ってくるなら、入ってる入ってないで統計を出すべきです。以前Twitterで迷惑行為した通帳バカッターがいましたが、ほとんどが頭の悪そうな学生でタトゥーを入れてるような人はいませんでしたが。
タトゥー入ってる友人はいるけど…
お決まりのこの文句。「私は偏見ないよ!友人いるもん!でもね…」。友人いるからどうしたの?って感じ。全く意味のない言葉です。これを言えば自分は差別してない善の人と言いたいのでしょうか。前のエントリーでも書きましたが、「私の学校のヤンキーは優しい人が多かったよ!だから、日本中の学校にイジメはありません」って言ってるのと同じです。自分の周りの出来事をそのまま全体にも適用できると思考してしまうのは決して頭のいい行為だと思いません。
輸血が…子供が…
別に他人に関係ありません。輸血するしないも個人の理由。子供に説明しづらいとか、子供がプールに行けなくてかわいそうとか、他人に関係ないでしょう。虐待してるわけじゃないんだから。
と、りゅうちぇるさん擁護をしてきましたが、私は完全にりゅうちぇるさんを支持するわけではありません。
タトゥー差別はLGBTや部落差別とは違う
LGBTや部落差別は先天的なものです。生まれながらに決まっていてます。逃げることは非常に難しいです。そういったものを自らが選択して入れたタトゥーと同じように語るのは間違っています。確かに偏見や差別はあると思いますが、それを他の差別と同じステージで語るべきではありません。
タトゥーは反社会的勢力の目印だった
今は決してそうではありませんが、日本では反社会的勢力と入れ墨が結びついていたという文化があります。外国の文化だから…という意見を理解は出来ますが、日本にも日本の入れ墨=タトゥー文化があるんです。反社会的勢力を見分ける一つの判断材料が入れ墨だったのです。民間施設は一般の人のが反社会的勢力と一緒になるのは怖がるので、入れ墨で判断し入店を拒否する…これはある程度仕方ないことなのでは?と思ってしまいます。
ただし、国や助成金をもらっている施設でやるべきではない。
国民の基本的人権は必ず守られるべきです。タトゥーを入れていようがいまいが。民間ではなく国、または助成金をもらっている施設はどんな人であれ入店を断るべきではありません。
ということで玉虫色の結論ですが、私がこのニュースで思うことです。(個人的にはタトゥーを怖いとは思わないので、別に一緒になっても平気です。)
タトゥーとは別にりゅうちぇるさんのSNSでの発言は勇気のあるもので、彼自体は結構好きになりました。「変えていきたい」というのは中々言えないですよ。
今日の1枚。in銀座