30歳。2人の子持ち親父の育児・仕事日記

30代中盤男性の育児日記です。共働き、男の子2人の4人家族。育児について、仕事について、お金についてを徒然なるままに。

【読書感想】ゲームの王国【2017年のナンバー1小説】

前回の子どもに現物を残すというブログ。私は、だいたい月に10冊程度の本を読みます。その中でも子どもに残したい本がたくさんあるのですが、最近読んだ本の中からいくつか記録のために残しておこうと思いました。今日は小川哲さんの「ゲームの王国」を紹介します。子ども向けじゃないんで、10年後くらいに読んでくれれば…くらいの想いですが。

 

2016年のナンバー1は直木賞本屋大賞をとった恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」でした。昔から恩田陸さんの大ファンだったので当然っちゃ当然なんですが、もう最高でした。ま、これはベストセラーにもなってるので今更書くこともありませんが。

で、去年2017年の小説部門ナンバー1は間違いなく「ゲームの王国」です。

 

サロト・サル―後にポル・ポトと呼ばれたクメール・ルージュ首魁の隠し子とされるソリヤ。貧村ロベーブレソンに生を享けた、天賦の智性を持つ神童のムイタック。皮肉な運命と偶然に導かれたふたりは、軍靴と砲声に震える1975年のカンボジア、バタンバンで出会った。秘密警察、恐怖政治、テロ、強制労働、虐殺―百万人以上の生命を奪ったすべての不条理は、少女と少年を見つめながら進行する…あたかもゲームのように。

 

上下巻に分かれており、上巻は1950年代、ポル・ポト時代のカンボジア。あまりにつらいその時代を生き延びたソリヤという少女とムイタックという少年の物語です。

で、下巻はいきなり2023年にとびます。少女だったソリヤは政治家に、ムイッタクは研究者に。

 

あらすじはここまで。

ここからは私が感じたことです。

 

「ゲームの王国」は上巻が独裁国家(粗野な共産主義)というルールが決まっている世界のゲームを描き、下巻は民主主義というゲームを描いています。というよりは民主主義がうまくいかない世界でのゲーム作りという感じでしょうか。

 

 

小川さんはゲンロンカフェのイベント前、この作品についてこんな風に話しています。

『ゲームの王国』は、ポル・ポト時代から未来にかけてのカンボジアを舞台にした「ゲーム」についての小説です。ポル・ポトの原始共産主義は、国民に極端で厳密なルールを課す、まさに「ゲーム」的な社会でしたし、現在のカンボジアは他の多くの途上国と同じく、政府の設定したルールがうまく機能せずにいます。
「ゲーム」には様々な定義があります。たとえばロジェ・カイヨワは、その本質が「パイディア(Pidia)」と「ルドゥス(Lidus)」にあると述べました。「パイディア」とは規則から自由になろうとする力であり、「ルドゥス」は規則に従わせようとする力です。この二つの概念は、「ゲーム」の本質であるだけでなく、人間そのものの本質でもあると思います。
人々はテレビゲームやスポーツなどの狭義の「ゲーム」を楽しむ一方で、政治や経済などの広義の「ゲーム」の中で生活しています。

 

このインタビューを見た後に読めばよかった…しまった…そこまで深く読めなかった…

 

「ゲームの王国」って言葉がなんとも皮肉。上巻は独裁国家というゲームのルールから逃げようとする2人を描きます。「王国」ってのはちょっと違いますが、近いものは感じますよね。しかし、下巻は王国とは真逆に見える民主化されたカンボジアです(うまくまわってるわけじゃないんですが)。民主主義という王様が決めたルールとそこから逃げようとする登場人物たち…タイトル絶妙っす。

 

今、民主主義が問われている時代です。テレビでは「民主主義は正しい」と繰り返しいってますが、実は人々の間に歪を産んでしまうものすごく不安定な制度だったりします。この時代にちゃんと、向き合って読むべき小説のはずです。

 

ちなみに。共産主義とか民主主義とか書くと難しく聞こえますが、安心してください。純粋にエンタメとしてものすごく良く出来ていますよ。

 

最後に一言。書評ってすげー難しい!全然うまく書けない…

 

とりあえず、面白いから読んでおけってことです。