30歳。2人の子持ち親父の育児・仕事日記

30代中盤男性の育児日記です。共働き、男の子2人の4人家族。育児について、仕事について、お金についてを徒然なるままに。

8月6日。広島原爆の日に思うこと。

自分の子供達に「どうやって」「何を」伝えていくか。

 

いやー難しい…

 

では、私は親や祖父母から何を伝えてもらったかを考えてみたい。

 

祖父母から戦争を伝え聞いたことは無い。

無い。無いんです。これが。

母方の父、おじいちゃんは私が物心つく前に亡くなりました。警察官でした。戦地にも行ったようですが、どこに行ったかは分かりません。

ばあちゃんは戦争の話をしたがりませんでした。確か、高校の時だったと思います。興味本位で戦争の時のことを聞いてみました。話してくれませんでした。

 

「いいのよ。そんなことは」

 

ヘビースモーカーだったばあちゃんは美味そうにタバコを吸って吐きました。

 

父方のじいちゃんと我が家は疎遠でした。関係が悪かったわけではなく、場所が離れていただけですが、1年か2年に1回帰るだけでした。私の両親はフルタイムでの共働きでした。2人が長期の休みをとるのも難しかった。さらに両親は子供に色々な場所を見せてあげたいという思いが強い人でしたので、たまの休みも家族旅行にあてることが多かった。今となってはありがたいのですが、じいちゃんやばあちゃんの気持ちを考えると、寂しい思いをしていただろうなと思います。

 

帰る時は、親族大集合みたいなタイミングなので当然そんな話をすることはありませんでした。

 

今になって思う。体験を語り継ぐことの重要さ

私は戦争を経験してないし、聞いてもこなかった。教科書に載っていることと、テレビや映画、アニメ、漫画の中の戦争しか知らないのです。

で、広島や長崎、終戦の日に思いを馳せる時、自分の何も無さにビビるわけです。恐らく5年後。子供に教える際にまだビビるでしょう。語ることの無さに。

 

私みたいな同年代。多いのではないでしょうか。

 

いや。案外、父や母も知らないのかも。聞いたことない。

 

ということでまずは話を聞き勉強することから初める

まだ間に合いそうです。語り部の方に会いにいくことをしようと思います。また、テレビや映画を見ます。正直、今までは戦争映画って苦手だったので敬遠してきたんですよね…それじゃいけないわけで。

 

私は自分のフィールドワークとして東日本大震災語り部の方とは何人かお会いしました。石巻、女川、気仙沼陸前高田

 

これと同じことをやらなきゃいけない。

 

 当たり前のことから当たり前にはじめるしかないなーと思う8月6日でした。

 

 

ちなみに。私は本業以外で自分の『仕事』を持つことってスゴイ重要だと考えています。なんでもいいし、金にならなくてもいい。語り部に会うことも、写真を撮ってSNSにアップすることも、ブログを書くことも。超どうでもいいことだけど、でも案外大事っす。そして生活がびっくりするくらい豊かになります。なった気がします笑(また、これについて記事を書きます)

 

 

最後に今日の一枚のコーナー。

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暑い…いや暑い…という夏っぽい一枚。上の空がもう少し小さくても良かったかなー。