地元の友人と疎遠になった自分は冷たいんだろうか
自分で言うのもあれですが、私は仕事人です。私の最も大切なことは「仕事」です。家庭ももちろん大事ですけどね。ただし、ここで言う仕事は広い意味での仕事であって、今の職業を指しているわけじゃありません。
仕事仲間、大学の友人、地元のツレ
何の前置きかというと、「仕事仲間」「大学の友人」「地元のツレ」。どれに時間を割くかってことです。
私は大学の友人に時間を使います。
仕事仲間は単純に意識をしなくても多くの時間を割くため、特段自分で予定を作る必要はないからです。
地元のツレは仕事に繋がりません。
大学の友人はちょうど同じくらいの「年収」「地位」があるため話も早く、また他業種が多いので新たな仕事を作るにはもってこいの連中です。
冷めてる。打算的。なんだろうか…
そんなことを考えていて、行動指針にまず新しい仕事に繋がるかを軸にしていました。すると、地元のツレは仕事に繋がりません。こう思ってしまう自分に自己嫌悪なのです。いたら楽しいのは事実です。本当に心が許せるのは彼らかもしれません。
私は実家は東京ですが、社会人になってすぐ一人暮らしをはじめ地元を離れました。残業も多く休日も仕事だったため次第に地元の友人とは疎遠になっていきました。年に1回、正月に会う程度でした。子供が出来ると正月もなかなか長時間会うことは出来なくなりました。(東京の中でも地元と今の家が端と端くらい離れているんですよね)
最近、地元の友人が同窓会をやっていることをFacebookでしりました。あまり親しくないクラスメイトが主催したものなので、呼ばれてないこと自体は構わないのですが、どうやら頻繁にみんなで集まって飲んでいるようです。そして飲んでいるのはみんな地元に残った人です。
当然だけど、これが悪いとは言ってません。私自身も参加すればそれなり楽しくは過ごすはずです。
ただ、この時に仕事に繋がるか、自分にプラスがあるかないかをすぐに考えてしまう自分がたまに嫌になるんです。「この職業のやつがいるから、こんなことが聞けるかも…」「あいつの話は次のプロジェクトの参考になるかも…」と超打算的な自分がいるのです。
こうなったのは30歳を超えたくらいからでしょうか。子供ができて、自分の時間が極端に無くなった時、いくらプライベートとはいえ、無駄な時間を過ごすことに凄まじい拒否反応が出てしまいました。昔はこうじゃなかったのですよ。むしろ無駄な時間こそ大切だと考えてたくらいで。
家庭と仕事。しかも今は本業以外にも色々首つっこんでやってるので実際は4つくらいの草鞋を履いている状態です。仕事と家庭以外は無駄に過ごしていいじゃないのとはならないのです。
地元のツレとはもう2年会っていません。このまま会わなくなるのは寂しい。でも会えば会ったで、彼らとズレている自分を痛感することが多すぎて…
今はまだ過渡期なんでしょうね。時期がきたら、その辺も折り合いがつくと思うのですが…
最後に今日の一枚。